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All we could see were you

2020

04:09

Text, HD Video, Color.

​ーーーーーーーーあのひと

 

あのひとは、いつも自分の人生は来世に期待するといっている。誰の意見に耳を傾けるわけでもなく、あのひとの周りはいつも首を縦にふる人しかいない。しばらく、家から出ていないようだ。電話越しに聞こえる音はいつもあのひとの母親の話し声とテレビの音。どんな時間に話しても後ろから入り込む生活音は、あのひとの独立した部屋がないことを意味している。前向きな人間が嫌いだといっていた。あのひとは、左眼が見えない。小児癌で左目の視力を失ったが、なまじ右目が良く見えたそうで障害者手帳がもらえなかったそうだ。一瞥すると目が見えないことがわかる容姿だそうで、初めて会う人はぎょっとするらしい。あのひとは、障害者にも健常者にもなれないと、息継ぎもせずに声を荒げる。普通な人間に産まれたかったと繰り返し話すあのひとに、苛立つ気持ちをもってしまう私は冷たい人間なのでしょうか。

あのひとは、とても明るくて、嵐のように来ては去っていく。全身に自傷があるそうだ。毎日言うことが変わる。ろれつのまわらない話しぶりは、安定剤が記憶を曖昧にさせているからだろう。ある時、あのひとは私にこういった。「私、悲しいとか嬉しいとかむかつくとか、そんな感情がなくなっちゃったんだ。感情がなくなっちゃったの。」精神科が処方した薬のせいだと本人も自覚していたけど、薬が切れると耐えられないらしくまた飲んでしまうらしい。こんな感情になるなら薬なんて飲まなかったのにという。あのひとは、自分が自分を守らないと誰が私を守ってくれるの?と言っていた。誰があのひとを批難しようと、あのひとはとても明るかった。「私、風俗で働いているんだ。本当はこんなこと言いたくなかった。これからも友達でいてくれる?」あのひとは、とても明るくて、嵐のように来ては、去っていく。

 

 

あのひとは、いつも車の中にいる。4歳と5歳の子供がいるらしい。結婚して5年。家も買ったそうだ。それでもあのひとは、朝も昼も夕方も、夜中の1時を過ぎても車の中にいる。最近は彼氏ができたそうで、嬉々として次の逢瀬を待っている。夜中に子供は大丈夫なのかと他人事ながら不安になる。「これでバランスをとって頑張っている。」と言う。そのあのひとの言葉は、この現状を “しょうがない“出来事へと変える。誰も母親を子育てをしている人間を責めれない。「今この瞬間が人生で一番大事なんだよ。」その言葉の使い方はあっているのだろうか。「子供がかわいくてしょうがない。子育てって大変なんだよね。」その言葉に私はなにも返せない。なんだか母親とは神格化される存在のようだ。子を愛さない母なぞ多くいるのにもかかわらず、母親という記号のイメージはとても良い。言葉と、行動と、感情と、事実が、なんだかちぐはぐしているひと。

 

 

あのひとは、好きな男のために友達を全て捨てた。前日まで笑って話していた関係は一瞬で終わるようだ。「友達と会うと妬くらしくって。」あのひとは笑いながら話している。「私にしかみせないところもあるんだよね。」「好きになっちゃったんだよね。」「あなたとは、あの人の友達だから友達だったんだよね。」笑いながら話している。会ったこともない人間だから、画面越しの人間だから、誰も傷つかないと思っているのだろうか。それとも、自分と同じレベルの信頼の結び方を、相手に求めてしまう私の癖が、これほどまでに人間に落胆させるのだろうか。駒としかみていないその人間関係の作り方は、リアルだろうとバーチャルだろうと変わりはしないでしょう。画面の向こう側にいるのは紛れもなく生きた人間なのだから。

 

 

あのひとは、私に期待をしている。顔も見えず、素性もしれず、僅かばかりの情報だけを手に持って、妄想をする。通常の男女の関係ではない、でも、それもいいものだと言っていた。ここでは脳で考えることは不必要なようだ。これでいいのだと思えない私の頭はどうやら、考えすぎの部類に入るそうだ。肌の触れ合わない愛情の確認の仕方を、私は知らない。

 

 

 

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